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1.
若草萌ゆる初夏の野道を、一人駆けてゆく少年がいた。手には紐で丸められた羊皮紙を握りしめ、 鳶色の短い髪は風にサラサラと揺れている。着古された白いシャツには、わずかに汗がにじんでいた。 少しばかり離れたところにある一軒の家を目にして、少年は足を止めた。戸口に二人の人間が 立っていて、何か話している。少年は二人の会話を遮らないように、ゆっくりと歩き出した。 あと十数歩で二人の位置に届くというところまで近づいて、少年はやはり、と思った。 話をしていたのは二人の女性だった。 片方は落ち着いたハシバミ色のブラウスにスカートという村の女性によくある出で立ちをした中年 の女であった。少年はあまりよく知らない人間だが、彼女が病弱な一人息子をもつ主婦であることは 知っていた。 もう一人は黒い優美なドレスを纏った、妙齢の女性であった。波打つ黒髪は胸の辺りまで伸びており、 白い陶器を思わせる細面には切れ長の目と形のよい眉、そしてバラ色の唇が綺麗に配置されている。 スカートには大胆なスリットが入り、豊かな曲線を描いた足がちらついていた。少年はこちらの 美女の方にも、見覚えがあった。むしろこちらの方が、よく見知っている人物であった。 「あら、おかえり」 少年がいることに先に気づいたのは、ドレスの女の方であった。少し遅れて中年女の方が少年の方を 振り返る。少年は一瞬きょとんとした顔になり、思い出したかのようにお辞儀をした。 二人の女性は再び短い言葉を交わし、最後に中年女は手渡された小瓶を大儀そうに抱えて帰っていった。 少年は待ってましたと言わんばかりに黒いドレスの女に駆け寄り、手に持った羊皮紙を彼女の前で 広げてみせた。女性の顔が意味深に微笑む。 「卒業証書、か。しかも何? あんた主席だったんだ」 少年は照れくさそうに笑った。女性は読み終えた卒業証書を手で吊り下げてじっくり見つめる。 「読み書きとか、計算とか、自然科学とかそういう“のは”出来がいいのね」 少年の笑顔が消えた。女性は証書を丸めて元通りの形にすると、少年に投げ返した。少年は慌てて それを宙で掴み取る。 どうにか地面に落ちずに済んだ証書を握り、少年は女性を睨み付けた。女性は反省する様子もなく、 見当違いな方向を向いていた。あまりのことに少年は不平の声を上げる。 「少しは悪いと思えよ、シーリス。せっかく自慢しようと思ったのに……」 「はいはい。カイトが賢いのは分かったわよ。でもついでに魔術の腕も上達させてくれないかしらね? 」 言葉を遮られて、カイトと呼ばれた少年は沈黙した。シーリスはカイトのムッとした顔には目も くれず、入り口のノブに手を掛けていた。 「さあ、むくれてないで家に入りましょう。……大事な話があるの」 風が吹き抜け、緑が刹那ざわめく。空に浮かぶ雲が青々とした大地を陰らせて流れていった。 そのわずかな自然の変化は、カイトが気づくにはあまりに小さすぎた。
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シーリスに言われるまま、カイトは居間に彼女と向き合って座った。シーリスはカイトの目の前で 足を組んで座っていた。あらわになった片方の脚が妙になまめかしい。カイトはシーリスの足元を なるべく視界に入れないように、かといって彼女の顔から目をそらさないように注意深く視線を調節した。 「ねえ、カイト」 シーリスの目がらんらんと光っている。まるで獲物を威嚇する蛇のような妖しい目つきは、カイトの 体を硬直させた。シーリスは気にすることなく言葉を続ける。 「学校の過程も終えたことだし、あたしとしては魔術の上達に専念して欲しいの。将来はちゃんとした 術師になって、あたしみたく人助けをしてもらいたいからねえ……」 急に寒気を感じて、カイトは身震いした。カイトの緊張を解くつもりなのか、シーリスは満面の 笑みを作ってみせる。それが逆にカイトの体感温度を下げていく。とうとう我慢できなくなった カイトは、声を荒げていった。 「だから、何? 変にもったいぶらないで早く言えよ! 」 シーリスの口元が大きな弧を描いた。急に立ち上がって、後ろのクローゼットから何かを取り出す。 その“何か”が突如宙を舞い、カイトの膝の上に落とされた。カイトは丸まったそれを丁寧に 広げてみた。 それはフードのついた、裾の長いコートだった。黒い生地なので、昔話に出てくる魔法使いが着る ローブにも見える。薄手の生地だが、意外と丈夫そうである。 「それは卒業記念のプレゼントよ。大事にしなさい」 顔を上げるとシーリスは立ったままカイトを見下ろしていた。恐怖を誘う笑顔はまだその顔に 浮かんでいた。カイトは先ほど言ってしまったことを密かに後悔した。だが既に全ては遅すぎた。 「魔術は理論ばっかり詰め込んでも仕方ないわ。だから実践を積むことが大事なわけ。というわけで カイト、これからあんたを全然知らないようなところに飛ばすから自力で帰ってきなさい。健闘を祈るわ……」 カイトは精一杯の大声で、シーリスを止めようとした。しかしその声は既に、シーリスに届くことはなかった。 |